はじめに
今回の"US Youth Championship 2002"のためにアメリカを訪れることになった経緯をまず説明しておくと、
2002年7月末から8ヶ月間、アメリカのサンディエゴでレース運営や国際大会準備等の研修をすることになっている。「TOTOスポーツ振興くじ」の助成を受けられることになり、単身アメリカで生活するのだ。サンディエゴにはスナイプの国際本部(SCIRA)があり、その事務局長のJerelyn(今回の大会のChairperson)にアメリカ研修の相談をしていたところ、「6月にサンディエゴで行う"US
Youth Championship 2002"はきっといい勉強になるから来てみないか」と誘ってもらったのだ。いいチャンスなので7月からの渡米の下見も兼ね行くことにしたというわけだ。
DEPARTURE
行くと決めたらさっそく航空チケットの手配にかかった。インターネットで、成田=ロスアンゼルス(乗り換え)=サンディエゴ往復¥46,000の格安チケットを見つけ、6月19日成田空港を出発した。
アメリカ西海岸までは約10時間のフライトだ。コリアンエアーだったので機内食にビビンバもあり、行きも帰りもビビンバを堪能できた。
ロスアンゼルス空港で乗り換え、20〜30人乗りの小型飛行機でサンディエゴまで飛んだ。サンディエゴはカリフォルニア州では2番目、そして全米でも6番目に大きな都市だ。日系の企業もたくさんあるのにサンディエゴ国際空港には日本からの直行便が飛んでいない。ロスアンゼルスまで車で2時間という距離が理由かもしれない。
Arrival
サンディエゴに到着した。着いた日は曇り空で、風も強く肌寒い。ちょっとイメージが違うななどと思いながら、到着ロビーでホストファミリーのRobbを待った。ほどなくしてRobbがやって来た。彼は日本語が話せるので心強い。Robbの奥様であるRowenaも日本が大好きであるため、彼らが飼っている猫5匹のうち4匹には日本名が付いている。日本名といっても普通の名前は「ようこ」だけ。あとは
「ひと」「ねこ」「2番」という何とも変わった日本名だ。
空港からそのまま街を案内してもらった。天気もだんだんよくなり絵葉書や観光ガイドブックに載っている風景が目の前に広がった。「美しい」その言葉に尽きてしまう。
San Diego Yacht Club
ひと通り街をまわったあと、US-Youth大会の開催場所である 「San Diego Yacht Club」に行った。 駐車場からとても美しく驚いた。会員制のクラブのため、駐車場の入口で会員カードのチェックがある。誰でも入れる日本のハーバーとはここから違っている。
San Diego Yacht Clubの駐車場
夏休みだということもあり、ジュニアのヨット教室にたくさんの子どもたちが来ていた。
学校のプログラムでもあるらしく、この辺の子どもたちは全員と言っていいほどヨットに乗ったことがあるようだ。
驚いたのは、その小学生たちは2〜3人でFJに乗っているのだ。子どもたちだけでである。日本ではなかなか見られない光景ではないだろうか。
San
Diego Yacht Club正面
ここにはOPがなかった。ここだけではなく、カリフォルニアではOPよりもOPに似た艇種"Sabot"という艇が普及しているらしい。私もこれに乗らせてもらったが、軽風で上マーク付近で沈(capsize)してしまった。OPより浅いためマーク回航でヒールさせすぎたため水が入り、焦っている間にどんどん浸水していった。この"Sabot"だが、このサンディエゴヨットクラブでは子どもたちだけではなく、大人(年齢層は幅広く、30代〜80代)が毎週木曜日の夕方ここに来てレースを楽しんでいる。しかもおばあちゃん(失礼!)たち速いのだ。白髪の83歳の女性は年間成績でも表彰されていた。生涯スポーツとはこういうことだろう。
見ること、聞くこと、驚きの連続であった。今回はRobb&Rowenaの家からマウンテンバイクで毎日このヨットクラブへ通った。寄り道しなければ行きは12分、帰りは15分という近さだった。駐車場の守衛さんともすぐに顔見知りになり、カードの提示なしで「顔パス」通過ができた。運営委員長のJeffとは最終日に筆談を交えながら会話をした。私は彼らの運営のすばらしさを称えたかった。が、いかんせん言葉が・・・。筆談を交えて何とか理解してもらえた。彼も「サンディエゴヨットクラブはいつでもあなたを歓迎するよ」と言ってくれた。とにかく伝えようとする気持ちは大切である。あきらめたら何も伝わらないのだから。
 
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